カラバフの武器職人たち

アゼルバイジャン共和国国立中央歴史文書館には、貴金属を武器装飾に用いる武器工房の登記を管轄業務の一つとしていた、バクー市財務庁・試金庁の文書が保管されている。これら各庁の文書から、19世紀末~20世紀初めのカラバフをはじめ、アゼルバイジャン各地方で活動していた武器職人たちの名を知ることができる(アゼルバイジャン国立中央歴史文書館・蔵書群43)。

カラバフ職人作の火縄短銃。19世紀初。アゼルバイジャン国立歴史博物館。火縄短銃のロック部
カラバフ職人作の火縄短銃。19世紀初。アゼルバイジャン国立歴史博物館。火縄短銃のロック部

短剣・サーベル・小銃・短銃など、アゼルバイジャンの武器の装飾には、銀と金とが広く用いられていた。金銀工芸職人たちは銀と金から、短銃・小銃用に、広狭さまざまで、途中に隙間のないもの・あるものを含めた、銃身を銃床にしっかり固定するための銃床環(フック)や、ロック部上、ロック板の周辺、引き金・ねじの周辺、ベルト通しの周辺にかぶせる各種の金物(板)、柄の胴部や柄頭の球形部 にかぶせる金物を製作していた。銀製のディテールはすべて、ニエロ(黒金)象嵌と彫金の技術で仕上げた植物文様及び幾何学文様で装飾され、金メッキされる場合もあった。刀剣類作品の中には、貴金属製の板で密に覆われた結果、単なる武器工芸の銘品であるにとどまらず、貴金属工芸の傑作ともなったものがある。なお大部分の武器を製作した職人たちは、自分の名(イニシャル)、日付、所有者の名を記すにとどめたため、武器や短銃の製作場所が特定しにくい。しかし財務庁・試金庁の資料からは、工房の所在地を知ることができる。

職人銘入りの火縄短銃用薬池

カフカースで製品への検印押捺が始まったのは、1804年、チフリスに造幣局が開設され、職人が製作した銀製品はすべて、検印押捺後でなければ販売できなくなってからである。1832年国家評議会は、チフリスに試金庁を設けて1834年に発足させ、グルジア・イメレチア財務庁の下に置くことを決定した。しかし試金庁は発足せず、試金官の職務は財務庁に属するものとされた。1843年1月1日付でチフリス管区試金庁が発足した。試金官E.I. ブリュムベルクは金属の品質決定業務を開始し、全ザカフカースにわたる職人登記制度を定めた。登記簿が設けられ、そこには職人たちの名と、その工房所在地と住所とが毎年記入され、職人の姓の脇には、その職人が自作製品に押さなければならない検印が記載された。ザカフカース各都市の全警察署長に宛ててブリュムベルクは、現役の銀工芸職人たちの人数と人員構成に関する照会状を毎年送付し、警察署長たちか らは、手工業生産免許証を取得した職人の一覧と、支払済み領収証とが寄せられた。チフリス管区試金庁では、アゼルバイジャン各都市の職人についても情報収集を行っていた。1885年7月1日付でチフリス管区試金庁が廃止されるとともに、同日付でチフリス試金庁が発足し、1896年に新試金法令によってザカフカース管区試金局(1917年まで業務継続)に再編されるまで存続した。ザカフカース局を書類の提出先としていた、アゼルバイジャン各都市の工房に関する情報が、アゼルバイジャン国立中央歴史文書館・蔵書群23に保管されている。

カフカースでは長年、金銀製品への検印押捺が行われる唯一の都市がチフリスであった。それ以外の都では手工業法令に従い、職人は手数料1ルーブルを納付して、警察から手工業従事免許証を受領し、警察ではその免許証をチフリス管区試金庁に発送していた。他都市の職人の製品は、チフリスの職人を通じて試金庁に持ち込まれた場合に限り、検定と検印押捺とが行われた。1843年から、試金監督官庁を他都市にも設けることが取り沙汰されるようになった。ようやく1863年4月1日付でバクーに試金機関が開設されたが、試金庁ではなかったため、バクーの職人に関する情報は従来どおり、チフリス管区試金庁に届けられた。1885年バクーに試金庁が発足し、1890年代半ばから活動を展開した。試金庁は次第に、金銀製品の加工が行われている地域をより広く管轄するようになり、職人たちに登記と、製品への検印押捺とを促すよう になった。登録製品数が1891-1898年に3倍増となったためである。業務の活性化には、1892年から試金庁に勤め始め、1895年からその長となったヴィトリト・コンスタンチノヴィチ・ズグレニツキーの活動が一役を買っている。彼は地場職人たちの独創性と、その作品のレベルの高さをつねに力説しつつ、当地の銀工芸産業の保存と発展に尽力し、あわせて職人たちが登記を行い、試金官の統制を受けることを促した。

カラバフ職人作の火縄短銃。19世紀初。アゼルバイジャン国立歴史博物館。

彼は、職人たちが一般教育と職業教育を受けるような学校の設立を目指していた。学校では成年の職人と未成年の生徒向けに、2学科を設ける計画であった。ズグレニツキーはとりわけ、全ロ伝統を受け継ぐカラバフ職人作の火縄短銃。19世紀初。アゼルバイジャン国立歴史博物館。シア博覧会や万国博覧会を目標とした職人の養成に熱心であった。1900年のパリ万博の前には、自前の資金がない職人向けに、銀買付用の貸付が行われた。1890年代末から1900年代初めにかけての各種博覧会では、豪華で多様な銀製品を、バクーほど数多く出品した都市はほかに一つもなかった。V.K. ズグレニツキーは、武器・女性用装身具・ベルト・燭台など、博覧会向けに製作された、ありとあらゆる作品の図録を取りまとめた。この図録は、学校での教材とすることが想定されていた。彼は手工業委員会の会合の場で、バクー管区の銀工芸産業の現状と発展について、一度ならず報告を行った。バクー試金庁は1885年から1896年まで業務を行った。試金庁が用いた検印は、バクー県の紋章(炎3つ)、試金官のイニシャルと日付を、検定番号と別々に、または同じ枠内に配したものであ る。

チフリス管区試金庁とバクー財務庁・試金庁の文書調査から、武器装飾に従事し、高品質な製品の作者として登記されていたカラバフの銀工芸職人たちの名を知ることができる。シュシャ郡のシュシャ市とハンケンディ市で活動していたのは以下のとおりである。1) ケルバライ・アスラン=オグル・メシャディ・カズム(1879年財務庁登記) 2) ベルゴフ・アッラフヴェルディ(1879年財務庁登記) 3) バグディエフ・アスラン(1877年財務庁登記) 4) ジャヴァドフ・ジャマル(1879年登記) 5) ジャファルベコフ・アスラン・ベク(1877年財務庁登記) 6) ルスタモフ・マルジャン(1877年財務庁登記) 7) ルスタモフ・ミ

カラバフ職人作の短剣。19世紀末。アゼルバイジャン国立歴史博物館

ルザジャン(1876, 1885-1886年財務庁登記) 8) アブディン・ハジ=オグル・カルバライ・サルマン(1876, 1877年試金官が工房を検査) 9) アリ=オグル・ムッサ(1879年財務庁登記係が工房を検査) 10) アリ=オグル・ムスタファ・フセインことムスタファ・バキル(金銀工芸職人。1844-1877年手工業免許証を取得) 11) アリエフ・ルスタム(1912-1915年手工業免許証を取得) アッラ=ヴェルディ=オグル・ケルバライ・アリ・ゼルケル(1846-1848年手工業免許証を取得。1876, 1877, 1879年財務庁登記) 12) アフンドフ・ハジ・ベク(1877年財務庁登記) 13) バギロフ・ミルザジャン・ホジャ(金銀工芸職人。1876, 1877, 1879年財務庁登記) 14) バダロフ・ムッサ(金銀工芸職人。1844-1846年手工業免許証を 取得) 15) フセイン=オグル・ウスタ・ムスタファ(1853, 1860年試金官報告書に記載) 16) ジュシムドフ・アイラ(金銀工芸職人。1846, 1847年手工業免許証。1847年にはヌハで活動) 17) エガロフ・アガジャン(金銀工芸職人。1876年財務庁登記) 18) エギエフ・アガジャン(1915年試金官が工房を検査) 19) エギエフ・ミルザ(検印「M.E.」1907, 1908, 1915, 1916年試金官が工房を検査) 20) ジヤロ・アガジャン(金細工職人。1876-1877年試金官が工房を検査。1851-1854年にはヌハで活動) 21) ズラル=オグル・ケルバライイ(『万国博覧会ロシア部門便覧』(ロンドン, 1862年, 116ページ)によれ

1862年ロンドン万博に馬勒と馬具を出品) 22) イスマイロフ・エンミンことイズマイル(1909年試金官が工房を検査) 23) イサエフ・ホスロフ(1877年財務庁登記) 24) ケヴハエフ・ババ・カグラマニ(1879年財務庁登記) 25) ケルバライ=オグル・アリ(金銀工芸職人。1849年手工業を離職) 26) メシャディ・ケリム=オグル・マガメドフ(1877年財務庁登記) 27) ラヴァンドフ・ハジ・ベク(1876年財務庁登記) 28) モヴラゾフ・ハギ(1877年財務庁登記) 29) ケルバライ・ムフタル=オグル・クリ(1912年試金官が工房を検査) 30) ナジャフォフ・アガ(1879年財務庁登記) 31) パシャ=オグル・アブドゥッラ(金 銀工芸職人。1844-1846年手工業免許証を取得) 32) ケルバライ・パシャ=オグル・アビリ(金銀工芸職人。1847-1851年手工業免許証を取得。1852, 1859, 1860, 1861年試金官報告書に記載) 33) パシャ=オグル・ゼイナル・ママド(金銀工芸職人。1848年手工業免許証を取得) 34) ケルバライ・パシャ=オグル・ナギ(金銀工芸職人。1860年試金官報告書に記載) 35) ファタフ=オグル・アビリ(アビリ・パシャ・ファガト=オグル)(1861, 1862年手工業免許証を取得。1869年試金官報告書に記載)

カラバフ職人作の短剣。19世紀末。アゼルバイジャン国立歴史博物館

36) シハノフ・バラ(金銀工芸職人。1844, 1846年手工業免許証を取得。1847年活動を中止) 37) ユズバショフ・ババジャン(1863, 1865-1867年試金官報告書に記載) 38) ケルバライ・ユスフ=オグル・ムフタル(1909, 1910年試金官が工房を検査) 39) ソルタン=オグル・アブドゥラフマン(検印「A.S.」。ハンケンディで活動)1928年、カラバフのハーンたちの末裔フセイン・ジャヴァンシロフが、カラバフの最後のハーンたちの武器銘品群をアゼルバイジャン国立歴史博物館に寄贈したが、うち火縄短銃1点(アゼルバイジャン国立歴史博物館・旗幟及び武器収蔵品群・収蔵品第634号)が特筆に値する。短銃には「カラバフのアリ・グリ製作」との銘が刻まれている。短銃は設計の秀逸さ、軽量性、優美さ、命中度の高さ、金の象嵌による豪華な外面仕上げにおいて際立っており、カラバフの武器職人たちの高度な職人芸を、視覚的に今に伝えている。

文献:

1.Акты, собранные Кавказской Архе-ографической Комиссией (АКАК). Отношение ген. Тормасова от 2 августа 1810 г. Тифлис. т. IV, с. 38.

2.Гейдаров М.Х. Ремесленное производство в городах Азербайджана в ХVII веке». Баку, 1967, с. 42-43, 45-46, 78, 80-88, 88-89, 109, 133, 185.

3.Джангирова С.Х. Восточное ору-жие. Буклет. Баку, 1973 г.

4. «Кавказский календарь» на 1853 г., Тифлис, 1852; «Кавказский календарь» на 1855 г. , Тифлис, 1854; «Кавказский календарь»на 1858, Тифлис, 1857.

5. Обозрение Российских владений за Кавказом, 1836,стр.120-124, 209.

6.Центральный Государственный Исторический Архив Азербайджанской Республики) (ЦГИА АР), фонд 23, ф. 37, 43, 249, ф.518.

7. Центральный Государственный Исторический архив Грузии, ф. 249